2007年12月2日日曜日

お知らせ12月号 07.11.24

NPO法人アニメミュージアムの会 

     第7回総会 開く

 

1116日に開催した総会は中島さんの司会で始まり、始めに有原さんの国連における「~アンゼラスの鐘」上映会の報告を受けてから、総会の議事に入りました。(国連報告は次回に掲載します)


相川代表のあいさつ


膨大な資料が保管と展示の場を求めており、本格的なアニメーションミュージアム建設は一層必要性に迫られている。どーんと大きく建設しなければならない状態が明らかになった。、大きな資金の問題もあり覚悟を決めて運動に取り組みたい。そのための活発な討論をよろしく。

報告と提案

主席者の中から桜井さんを議長に選び

・村松事務局長の経過と課題の報告

・小林担当から会計報告と予算案の提案、

・照屋さんと小岩さんの会計監査報告

・有原代表の運動方針の提案、

・事務局長から新役員の提案 などを行い討議に入りました。


討 議


▽膨大な収集資料を基にしたアニドウのミュージアム構想は、我々のイメージしてきたものとの共通点も多く、実現に向けては何が必要なのかをともに検討して行けると良い。

▽練馬には広い土地を手放す人もあり、区内に空き地もたくさんある。建設費も数十億が必要だろう。一般にもわかり易いミュージアムのイメージを提供していくことで、スポンサーや協力者探しに役立てたい。

▽練馬駅北口再開発で「高層化」と「低層で」の議論が2分されているが区としては17階建ての案を提示している。ここに新産業会館の機能を入れようとの案もあり「産業会館の目玉にアニメミュージアムを」の意見も出されているが現段階ではまったく夢物語の域を出ていない。しかし建物が建つことはほぼ間違いないとなれば、区民が活用しやすい施設を要求していくことも大切だ。

▽練馬アニメーション協議会、商工会議所、商店会など区内の業界や地域との結びつきが大切だと思うがどう進んでいるか。

▽アニメーション協議会とは協力関係にあり、今夏の「ねりたんアニメカーニバル」は実行委員会の一員として参加し、今後も共通する課題では一緒に行動することになっている。

商工会議所とは必要に応じて年2~3回連絡を取り合っている。

商店会は大泉地域の他にはまだ具体的なつながりが無い。

▽事業収入の一部が遅れて来期回しになっているとは言え、今期収入の合計が通信運搬費と家賃といった基礎費用で消えている。繰越金がなければ赤字の財政状況だ。アニメ工作教室や講座などですでに決まっている収入予定や、その他の事業計画もあってすぐに財政破綻はないようだが、会費未納の方へはもう1度(年2回の)催促の手紙が必要では――他の会でも忙しさにまぎれて、忘れている場合がよくある。

▽アニメミュージアムが目指す視点は「産業」というより「教育・地域・こども」を大切にしたい。オタク・秋葉原が一方の現実であり、専門的・技術者的集団になってはいけないのでは。

 以上、多彩な意見が出され、次のような活動を中心に広げる運動方針を確認し、決定しました。

・よりわかりやすく広げやすいアニメミュージアムのイメージづくりと、区民が「これが是非必要!」というまでの宣伝啓蒙活動を!

・経済面も含めた具体的な計画で協力・協同の対象を強く大きく広げよう。

・そのためにも美術館やホールでの展覧会、上映会を協同で開催しよう

 


 総会へはがきで寄せられたご意見 

(浅野富子さん)なかなか参加できませんが当会のご発展をいつも祈念しております


(堤園子さん)こどもたちのために“本格的なアニメミュージアムを”との息の長いご活動に心からの敬意を表します。総会の成功を祈っています。


(高橋知一さん)脳梗塞の後遺症で右方麻痺の加齢のため夜間の遠出がかなわないので、欠席させていただきます。活動・方針案に全面的に賛同します。会の一層の発展を祈念します。


(松田志ゑ子さん)いつも会報を送っていただきありがとうございます。これからもご活躍を!


(青木康二郎さん)少しずつ活動の効果が形になってきていて素晴らしいと思います。

ところでお隣の杉並区では「広報杉並」に「杉並アニメ物語」というコラムを掲載してアニメの歴史を伝えていますが練馬区でも同様なことはできないでしょうか?

杉並アニメーションミュージアムの「東映アニメの50年」という展示のときの山口康男プロデューサーのレクチャーや、「ねりたんアニメカーニバル」の際の大竹宏さんのお話などとても興味深く、このようなアニメ制作のエピソードや裏話を活字にして多くの人に報せることができたら活動にとても有効だと思います。というか、なによりも私が昔の東映動画や虫プロ話をもっと知りたいので…(笑)


(原田浩さん)ちょうどザグレブ映画祭と重なり出席できません。練馬のアニメミュージアムは大資本や大企業側の視点ではない広範な人々と街ぐるみで展示できるとよいと思います。特に日頃見落とされがちなアニメのアナログ時代の撮影・編集・音響・特殊効果などが見られるとよいと思っています

〔一部の紹介です。引き続き次号で・・・・・〕


★10月のアニメーション鑑賞研究会より

持永伯子さんの「私が見てきた中国アニメーションの世界」を見て・聞いて                              増田 英次

19455月伯子(のりこ)さんは祖母両親と米潜水艦が出没する日本海を渡り釜山に上陸、新京(長春)に着いた。父の只仁さんは満映に入社、8月ソ連参戦、敗戦。満映は中国共産党指導下の東北電影公司に接収されて、国共内戦の戦火を避け、スタッフと家族、映画機材をハルピンに移動した。だが、ここも安全とは言えず佳木斯(ジャムス)を経て鶴崗炭鉱のある興山の地に住宅を整備し、撮影所を建設、4610月には託児所もできたという。ご本人の生死の境での臨場感に溢れる体験談に息をのんだ。貴重なお話だった。


映画根拠地建設の記録映像は荒れた大地に日本の映画人が力を合わせて無から有を創造する有様をいきいきと映し出している。只仁さんも「苦労が多かったが楽しい日々だ」と回想されていたそうだ。


もうひとつの記録映画「東影幼稚園」では、日中の幼児たちが遊び戯れ学芸会をやっている、ぬいぐるみから顔を出したひとりが伯子さん。

こどもを大切にする東北電影の配慮がよくわかる映画である。

「皇帝夢」(1946年白黒26) 人形の動作は京劇の形式によっている。ややぎこちないところが巧まずして笑いと風刺も醸し出している。字幕が効果的に用いられ、中国国歌の曲に乗ってまったく異なる歌詞が高らかに鳴り渡る。蒋介石を追い詰める人民解放軍の指揮を大いに鼓舞したことだろうと想像した。


「牧笛」は何度観ても感銘の深い水墨画の伝統を活かした名作である。映像と音、静と動の画面と音楽、笛の響きの美しさなどを再発見した。

中国アニメの基礎を固めた持永只仁さんの自伝「アニメーション日中交流記」(東方書店)を読み昭和15年ごろ新宿のニュース映画館で観た漫画映画の背景を持永さんが相当されていたことを知った。アニメに関心を持つ人、特に制作に携わる人には是非読んでもらいたいと思った。(増)